今と比べると食が貧しかった古代人は、自然の物を使って甘味を出して、加工食品を作り、菓子を生産していたとされています。その文化が今でも受け継がれているのが和菓子であり、歴史の深いところです。
今回は、そんな日本で生まれた和菓子の歴史と、日本最古の加工食品など、お菓子の文化について解説していきます。
日本で「菓子」が生まれたその原点と日本最古の加工食品とは?
古代人はお腹が空いた時に、木の実や果物を食べて空腹を誤魔化していたとされています。その間食を行っている習慣から「菓子」と呼ばれるようになったと考えられているのです。
古代には、他に甘味を感じる食べ物が不足していたことから、こういった間食のことを特別視して、主食と分けて自然の恵みに感謝していました。
それから食の文化は発展していき、木の実や果物を天日で乾燥させ、石臼やこすり石で粉砕して保存するようになっていたと言われています。
ちなみに日本最古の加工食品は「餅」とされていて、米を原料として生産していたことから、当時は神聖な物としての扱いを受けていたようです。
現代でも元旦に鏡餅を飾ったり、お雑煮にしたりと新年のお祝いに餅は欠かせないものになっています。
和菓子に大きな影響を与えたお砂糖と他国のお菓子
今ではお菓子作りには欠かせない砂糖ですが、昔は甘味を出すために「甘葛(あまづら)」が使われていました。
甘葛は冬にツタの汁を煮詰めることで出来るシロップのようなもので、かき氷のように削った氷にかけて食されていたという伝承もあります。
甘味を出すために活用されていた甘葛ですが、750年頃に砂糖が伝えられ、江戸時代には砂糖が主流で扱われるようになり甘葛はだんだんと姿を潜めていき、今に至っては製造・販売しているところは無いようです。
また遣隋使の時代には、唐朝から持ち帰った「唐菓子」という、米、麦、大豆、小豆などをこねたり、油で揚げたりすること生産されていたお菓子が話題になり、この唐菓子が和菓子に大きな影響を与えたとされています。
・唐菓子の種類
梅子(ばいし)
桃子(とうし)
餲餬(かっこ)
唐菓子は、形が特徴的で祭祀用として唐朝から尊ばれていたようです。
他にもポルトガルやスペインから「南蛮菓子」が日本に伝わるようになり、主にボーロ、カステイラ(カステラ)、金平糖が人気のお菓子として広まりました。
今までのお菓子と違っていたところが、砂糖や鶏卵を使用してお菓子が作られていたという点です。この発想を基盤に和菓子が発展していくきっかけとなったと言われています。
今もなお食べ続けられる和菓子は江戸時代に作られたものが多い!
現在でも普及している和菓子の原型が出来始めたのは江戸時代から作られたものが多く、平和の象徴として世間に広まったことが発展のきっかけになりました。
特に京都の京菓子と江戸時代の上菓子が、競うように和菓子を作ったことから徐々に発展を遂げていったようです。
まず道明寺粉や白玉粉、寒天といった素材の発見から、落雁、練羊羹、葛菓子、桜餅が作られるようになり、砂糖の流通拡大から、さらに和菓子の生産が活発となりました。
今でも食べられている和菓子のほとんどは、江戸時代で競い合うように作られたことから発展を遂げ、今でも愛され続けいるのです。
明治時代には、さらに和菓子の発展が進んでいき、オーブンの台頭により、栗饅頭やカステラ饅頭といった焼き菓子が普及していきます。
他にも、西洋文化を取り入れる日本特有のお菓子も生産されていき、あんパンやチョコレート饅頭なども普及することに繋がりました。
古代から愛され続けている日本のお菓子ですが、江戸時代に大きな転機を迎えて、現在の和菓子の原型となって普及していったことがわかります。
それまでも、中国などからのお菓子が日本に広まることで、お菓子の文化は少しずつ変化していき、今の和菓子の発展があります。
このように知れば知るほど、奥が深い和菓子の歴史は現代でも引き継がれている日本の文化です。
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